彼女の家の前に駅を

これで安心してお家に帰れるでしょ。

スーパースター

 

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2019年2月28日

    秋葉原駅を出発した総武線の車内から窓外の景色を眺めていた。 低い灰色の雲の下で高い建物の群れが左から右へと流れていく。しばらく暖かい日が続いていたのだが、朝から雨が降り続き寒の戻りなのか冷えていた。

    約束事がとても苦手だ。予定の日が近づくにつれて不安や面倒な考えが大きくなっていき、最終的には約束をした時の楽しみよりも憂鬱な気持ちが勝ってしまう。何を話せば良いのか。自分は楽しめるだろうか。そもそも自分なんかが楽しんで良いのだろうか。行ってしまえば楽しさの保証はされているため大抵の場合は杞憂に過ぎないのだが、考えてもどうしようもないことばかりが頭を巡り、結局行く前から精神的に消耗してしまう。最終的には楽しさの前借りをしているだけなのではないかという謎の罪悪感がいつも気持ちにブレーキをかける。

    電車は減速し御茶ノ水駅に停車する。息継ぎをするようにドアが開くと雨音が高まった。何人かが降りて、それと同じくらいの人がまた新たに乗り込んでくる。

    ネガティブな人間の葛藤は尽きない。一つの問題が解決すれば、また次の問題を手に取り、眺め、不安になったり落ち込んだりする。ポジティブでいた方が良いとは思うけれど、「ポジティブでいなければならない」という主張を掲げている人とはこれからも仲良くできそうにない。むしろネガティブな人間ほどポジティブをよく知っていると思う。振り子のように、ネガティブであればあるほど同じ振り幅でポジティブを想像できるからだ。しかし前向きに捉えて期待したところで大抵のことは上手くいかず、さらに傷つくことになるからネガティブでいることを選ぶ。これはネガティブな人間なりのポジティブな選択だ。

    雨粒で白く煙る窓の向こうに広い交差点とその奥の観覧車が目に入った。いつの間にか発車していた電車は目的の水道橋駅に停車する。数人組の学生と入れ替わるようにホームへ出る。

    もう友達と呼べる人はほとんどいなくなってしまったが、そのおかげで約束も予定も入らなくて済むようになって逆に良かった。

    階段を降り西口の改札を出ると大量の人間がひしめいていた。皆寒そうな笑顔で白い息を吐きながら信号が青に変わるのを待っている。

 

 

 

 

 

 

    猛烈な強風によって会場から弾き出されるとすでに雨は上がっていたが地面はまだうっすらと濡れていて埃っぽい独特なにおいがした。

    あっという間の3時間だった。少しずつ言葉になり始めた感想を頭の中で反芻しながら、興奮冷めやらぬ賑やかな人達の間を黙然と歩く。

    その日、東京ドームに集まった5万人の観客達はそれぞれが手を叩き、心を揺らし、今を踊っていた。これまで違う人生を生きてきた人達が、同じ瞬間、同じ景色を共有し、そしてまた別の人生を生きていく。音楽が血流のように全身を走り、照明の光の明滅が脈を打つ。徐々に体温は上がり、鼓動も早くなっていく。日常では味わえない特有の高揚感に満たされていた。この時間だけは憂鬱な気持ちや不安は追いかけては来なかった。

   日常がどんなにクソで最低で最悪な状態でも、こうやって不確かな自分の輪郭を触って教えてくれる人やものが人生にはなるべく多くあった方がたぶん良い。

 

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- 星野源 DOME TOUR 2019 『POP VIRUS』

2019/2/28 thu.   東京ドーム -

 

    2019年の2月28日に『スーパースター』というタイトルのみを投稿し、その後、更新することなく放置していたものをはてなブログ内の下書きとスマートフォン内のメモに残しておいた覚え書きを元に書き起こしてみた。当時の文章の形式に寄せて現在のことを少しだけ書きたいと思う。

 

 

2021年3月1日

    窓の外を眺めると空は眩しそうに曇っている。短さを埋められないまま2月はいつの間にか終わってしまった。放っておけば垂れ落ちてくる鼻水と指の第一関節くらいまで入れないと解消されない目の痒みによって強制的に春が迫っていることを知らされる。

    正直な話をすると、この2年間でさらに悲観的な未来しか想像できなくなっていた。状況は今も相変わらず最悪でなかなか梲は上がりそうにない。生きているというよりもギリギリ死んでいないだけみたいな毎日の繰り返しで、もうそれだけで精一杯だ。

 

    まるで自分だけが不幸みたいな文章を書いているけれど世界はもっと最悪なことになっている。

    2020年の春頃から外出をする際にはマスクを着用し、不要不急の外出は控えるよう呼びかけられ、いくつかあった再会の予定は無くなり、就職活動の際に「まぁ、君レベルの学生を採用する気はないから」と言ってきた人事がいた企業のホームページを覗きに行くと全てが終わりになっていた。

    毎日発表される数字は減ってきているとはいえまだまだ少なくはない。長期間に渡って自由を制約され続けていると、人間はなるべく心身に負担がかからないように解釈をする。周りには「経済を回す」という言葉を「今のこの状況を自分には無関係だと思って過ごして良い」という意味だと受け取って行動している人もいる。人間にはそれぞれの視野があって、少しは重なり合うにしても自分には見えない視野が必ず存在するので、なるべく他人に自分の正しさを強いることはせず今の自分に出来ることをやろうと思う。それでもただ耐えるという選択肢しかない日々が続いていて、自分の出来ることのあまりの少なさに愕然とする。

    こんな未曾有の事態になっても好きな人や音楽や文章があって本当に良かった。刹那的であっても、それらを繋いで現実逃避をすることでなんとか毎日を凌げている。与えられてばかりではいられないので、今はその人達の活動や物や場所を絶やさないようにするために頭が悪いなりに考えて行動をしたい。不確かな自分の輪郭を触って教えてくれる人やものが人生には多くあった方が絶対に良い。

    口元を隠さずに会える日まで、うちで踊ろう。